Tuesday, December 15, 2015

ウルマノフコーチおよびデニス・ヴァシリエフスへのインタビュー

デニス・ヴァシリエフスのように自分の競技について情熱的に語るアスリートに出会うことは稀である。彼はまだ16歳で、喜びを溢れさせるように話す。デニスが強調していたのは、彼にとってフィギュアスケートは人生そのものであり、それなくしては迷子になってしまったように感じるだろうということだ。

昨シーズン、デニス・ヴァシリエフスはヨーロッパユース五輪で銀メダルを獲得し、世界ジュニア選手権で8位となった。しかし、さらに進化を続けるためには環境を変えることが必要であった。彼は昨シーズンすでにトリプルアクセルにとりかかっていたが、誰もそれを彼に教えられる人がいなかったのだ。だが幸運なことに1997年リレハンメルオリンピック金メダリストであるアレクセイウルマノフの元でのトレーニングを勧めてくれる人がいた。

「私はこの子が好きです。そして彼にはすばらしいポテンシャルがあると信じている。彼と仕事をするのはとても面白いですし、はっきりいうとこれはもう”win”だと思っています」
「この夏わたしたちはこのシーズンに入るための準備が十分にできませんでした。デニスがラトビアの学校で試験を受けなくてはいけなかったので、トレーニングができない時間が多かったから。それにもかかわらず、わたしたちはトリプルアクセルをマスターし、スケーティングもさらによくなり、ジャンプも高さが出て、かつ確実性を増すようになりました。理由があってまだトライしていなかった4回転の練習もすでに始めています」

ロシアのソチは彼にとって二番目にたくさん時間を過ごす都市となったが、フィギュアスケートという観点からはここが彼にとって一番重要な場所だ。ウルマノフのところでのトレーニングは充実している。7:20に起床し、8:30にはウォームアップを始め、9:15から氷上のトレーニングを始める。1時間半滑ったら、その後ジムに行くか、ストレッチをして家に帰って食事をとって仮眠をとる。15:30にもう一度リンクに行き、午後の部の滑走練習を2時間行う。その後またストレッチ。これを月曜日から金曜日まで続ける。ただし、金曜日土曜日の午後はフリーで日曜日は休息を取るためにオフとなっているし、何をしてもいい。しかしまた月曜日になれば練習が始まる。

「デニスは努力家だし、自分から最大限の力をひきだす練習をするための準備ができています。現時点で彼と私とはよくお互いのことを理解しあえていて、いい関係にあると思います」ウルマノフは言う。「デニスにはとても感情的なところがあってときどきその感情が溢れてしまうことがあります。精神的な繊細さというものは、マイナスよりもむしろプラスになると考えていますが、感情をコントロールすることを学ばなくてはいけません。デニスは確かにまだとても若いけれど、誰でも何かを学びながら生きています。若いアスリートもやはりいろんなことを学び、失敗をしないようにしなくてはいけないと考えています」

デニスがダウガフピルスにいるときは、彼は勉強にほぼ全ての時間を費やしている。学校の教師たちはこの若いアスリートの勉強をできる限りサポートするようにしているが、彼自身も努力を怠らない。彼の好きな科目の一つである物理では常に良い成績をとっている。デニスは歴史が好きで、このことは過去の出来事から新しいことを学ぶ機会を彼に与えている。また彼は、英語を流暢に話すことができる。英語はロシア語とともにフィギュアスケートという競技を行う上で重要なコミュニケーションツールとなるため必要である。もちろんラトビア語も話すことができるが、彼を見ていると英語で考えながらラトビア語を話しているため、ときどきラトビア語に混ざって英語がとびだしてくるようだ。彼は残念なことにラトビア語を話す機会があまりないため、筆者がときどき電話をしてラトビア語の練習をしようと約束すると嬉しそうにうなずいた。

ウルマノフの元で学び始めて、ヴァシリエフスにとってのフィギュアスケートの存在意義が変わったという。2年間苦労しても習得できなかったトリプルアクセルをひと夏で跳べるようになった。肉体的にも精神的にも強くなったと感じている。こなさねばならない課題がたくさんあり、同時にどうしたら技術を向上させることができるか、ということをよりよく考えるようになった。今はフィギュアスケートは彼の人生のすべてであり「前はそこまでではなかったけど、今は完全にスケートに夢中です。もし滑れなかったらどうやって人生の意味を見つけたらよいのかわからないくらい」と話す。

「彼は疑う余地のないすばらしい表現者です。プログラムを正確に演ずることができるし、音楽を自分で解釈し、そこからくるイメージやアイディアを、コーチや振付師の考えも含めてひとつのプログラムとして具現化することができる。世界でも最もクリエイティブなフィギュアスケーターの一人です。デニスはすでに彼独自のスタイルを確立しているし、他の選手たちとの大きな違いはそこです。これはとても重要なことですよ、ファンもジャッジも魅了することができますから」ウルマノフはそう話した。

このシーズン、デニスはジュニアグランプリシリーズの、リガおよびトルンの大会で良い成績を収め、そのたびに成績を伸ばしてきた。ジュニア選手のトップの6人が集うグランプリファイナルという大会があるが、それにはデニスは参加しなかった。ただし、彼のシーズンはここから始まるのだ。2月中旬にはリレハンメルで冬季ユースオリンピックがあり、3月中旬にはデブレツェンで世界ジュニア選手権がある。そして1月末にはブラティスラヴァでヨーロッパ選手権が、3月末から4月初めにかけてはボストンでシニアの世界選手権がある。

デニスはこの次の数年間で成功を収めることができるだろうか。この質問はある意味哲学的である。コーチとアスリートの選手生命は考え方によっては長いとも言えるし、一方ではとても短いものだ、と考えることもできる。「私はデニスが2018年のオリンピックに出場することを現実的に考えて、そのための準備はすべてやっていくつもりでいます。今シーズン、デニスはヨーロッパ選手権と世界選手権に出場するので、これが彼のシニアとしてのキャリアの第一歩となるでしょう。すべては努力次第で決まります。その中で彼がどれだけのものを得ることができるかは今後わかっていくでしょう」ウルマノフは付け加えた。

Sunday, April 26, 2015

Gabriella Papadakis and Guillaume Cizeron : The Rising Stars of IceDancing World Icenetworkより


パパダキス/シゼロン組の躍進はこのシーズンにフィギュアスケート界で起こったことの中で最も驚くべきことの一つであるとされている。フランスのアイスダンスカップルであるガブリエラ・パパダキスとギョーム・シゼロンは昨年の13位から大きく成績を伸ばし、世界選手権のタイトルを獲得した。

この2人はモントリオールにあるIce Bercy Stadiumで毎日6時間の練習を行っている。ガブリエラはブロンドで洋服のサイズは34号(日本では9号に相当:訳者注)、ギョームの髪の毛は褐色でモデルのような容姿をしている。彼はファッションに情熱を注いでおり、ガブリエラの方は演じることに興味を持っている。ただし彼女が女優になるのは30歳になってからでもいいのである。現時点では彼らはまだ20歳で、アイスダンスのヨーロッパおよび世界チャンピオンになったばかりなのだから。

"才能と魔法がぶつかりあうとき"
現世界チャンピオンの2人は9歳の時から一緒に滑っているが、ガブリエラのほうが少しキャリアが長く、彼女がスケートを始めたのは4歳の時だった。彼らの最初のコーチはガブリエラの母親だった。

「母はわたしの兄弟にもスケートを教えようとしたのですけど、続けたのはわたしだけでしたね。何年もの間、登校前に朝6時から練習を続けてきました」とガブリエラは話した。

ギョームもまた幼少の頃からスポーツが好きだった。彼の両親はまず彼をトランポリンの教室に連れて行き、その次には柔道を習わせようとした。しかし彼はどちらもそれほど熱中することはなかった。7歳の時に初めてスケートを習うようになると、突然その時から魔法が始まったのだ。

ガブリエラの母親はこの2人に才能があることを早い時期から確信していた。その頃に彼女はこの二人をアイスダンスのカップルとして組ませようと決意し、それからそのことを後悔したことは一度もないという。


"氷上では恋人として、それ以外は兄妹のように"
パパダキス/シゼロンはあたかも実生活でもカップルなのではないかと見ているものに思わせるほど、氷上で完璧なハーモニーを奏でながらプログラムを滑る。ただし事実はそうではない。

「競技の面ではわたしたちはとてもうまくいっています。でもオフアイスではそれぞれに別の生活があります。残されたプライバシーをうまくバランスをとって守ることが重要だと考えているんです」ガブリエラは言う。

「氷上では恋人同士を演じますから、それ以外では距離を取らなくてはいけないと考えてますよ」とシゼロン。「ある程度のバリアのようなものが必要です。練習の後一緒に夕食に出かけたりすることもほとんどない。1日6時間も一緒に踊っていて、他に何か話すことがありますか?」と彼は言うのである。

"ハードな練習にはストレスマネージメントが不可欠"

ガブリエラとギョームの性格はとてもよく似ている。ふたりともとても静かなタイプで、ストレスマネージメントに長けている。チャンピオンとなるべきアスリートはつらい練習とそれによる自分たちの進化に喜びを見出すものである。

「僕は非常に自分でも練習熱心だと思うし、完璧主義者です」とシゼロンは言う。「毎日限界まで自分の肉体を追い込んでいるし、もし自分の動きに納得がいかなければそれを完璧なものにするために一晩中氷の上で練習することも厭わないと思います」

「ギョームはわたしよりも厳しいの」ガブリエラは告白するように言った。「だから彼は怒りっぽいときもある。わたしはもっと楽観的で、いろんなことをより気楽に考えてるかな」


"世界チャンピオンになった途端にすべてが変わった"
この新星2人が3月に世界選手権のタイトルを手にしてから、突然全てが変わった。彼らにはなぜ急にたくさんの人が彼らに興味を持ち始めたのかわからないと言う。

昨年の今頃は2人も他のそれほど有名ではないたくさんのスケーター達の間に紛れていた。2人は昨夏、コーチであるロマン・アグノエルと共にもう2人のコーチであるマリーフランス・デュブルイユ、パトリス・ローゾンのチームに加わるためにカナダに移動し、それからはカナダで練習を続けている。

ガブリエラは一人暮らしをし、ギョームは友達とアパートをシェアしているそうだ。

まだ2人は上海での傑出したパフォーマンス以降、夢の中にいるような状態だという。そして時間を止められるものならば、モーツァルトのフリーダンスの最後の瞬間に戻り、そのまま氷上を二度と去りたくないと思っている。

しかし次の勝利を勝ちとるため、今季よりもさらに熱心に練習を開始しており、演技を素晴らしいものにするため、全身全霊をかけてひとつひとつの動きを研ぎ澄ますための作業を既に開始しているのである。

Thursday, March 19, 2015

Deniss Vasiljevs 3/13にダウガフピルスで行われた祝賀会について




03/13に市長室で行われたデニス・ヴァシリエフスの祝賀会は、1時間半ほど延長して開催された。お祝いの花がたくさん用意され、それをデニスの母親のレジーナが受け取った。チョコレートのお菓子やコーヒー、紅茶、そして焼きたてのビスケットが用意され、昼食を取る時間もなく学校が終わってすぐにかけつけたデニスは何よりこれを喜んだのだった。
開会の挨拶ののち、副市長であるJanis Dukshinsky、ダウガフピルスオリンピックセンター施設長であるUdis Pastars、市のスポーツ部門の責任者のMikhail Enbaev、青少年部門の責任やのImanys Utinansらが、このダウガフピルスが誇る将来有望なアスリートをどのようにしてサポートしていくかについて、招待されたジャーナリストたちも参加する中で活発な議論を行った。

1週間前エストニアのタリンで行われた世界ジュニア選手権において、この15歳のスケーター(ジュニアは19歳までなので最も若いスケーターのうちの一人)は、7位入賞を果たした。もちろん彼のアスリートとしてのキャリアの中で最も輝かしい成績という訳ではないが、今回出場していた他の有力選手たちのことを考えても、これは素晴らしい成績だと言えるだろう。それだけでなく、この若いラトビアのスケーターは出場者の中でももっとも将来を約束された人材のひとりとして高く評価された。そのため、彼の今後について真剣に討論する必要があった。

デニスの母親であるレジーナが「オリンピック」について触れると、会場からコーチに関する質問があった。クワドを含め、彼の必要とする技術面を伸ばしていくことができるのかどうかということだ。クワドなしでは、やはり今後の大きな大会での勝利は望むことができない。しかしデニスはまだそれらのトレーニングを行っていないのだ。「サンクトペテルブルグではハーネスをつけてクワドを練習しました。ハーネスなしでやってみたいとコーチたちにお願いしてみたけれどやはりそれは無理だったんです。まだハーネスなしではクワドを跳ぶことはできないし、何より確実性がない。特殊なトレーニングが必要だと思います」ハーネスを使用するトレーニング方法は10年ほど前に開発された方法で、難しいジャンプの練習に使われている。
幸運なことにロシア人のオリンピックチャンピオンであるアレクセイ・ウルマノフが、デニスのトレーニングを引き受けるつもりでいるし、ソチでデニスのことを待ってくれている。
そしてここで本題に突入した。どうやってコーチに指導料を払うのか、という問題である。ダウガフピルスの自治体も、青少年委員会も、ラトビアスケート連盟も直接コーチ料を支払う準備ができていない。いずれにせよ、コーチ料、交通費、滞在費、医療費、技術的経費などが必要になる。デニスのために使えるお金は少しならある。ただが残念なことに非常に少額であると言わざるを得ない。他の国のためにチャンピオンを育てるということは決して一般的なことではないし、よい技術を持っていればそれだけの対価を要求するのは当たり前のことである。

この討論の間に以下のような結論に達した。これから3.5年間の間にの最低でも30000ユーロ(今のレートで380万円程度)の資金が必要になる。これらの資金はさまざまなタイミングと場所で必要になる。トレーニング料、競技会の参加費、飛行機代、機材のレンタル代、また複数の専門家の関わってもらうためにも...近い将来の課題は、主要なスポンサーを見つけることである。例えばLatvijas Valsts mezi (ラトビアの森林管理会社のようです;訳者注)やあるいは他の会社、例えばラトガレ地方(ダウガフピルスはラトガレ地方に含まれます;訳者注)の企業などが候補となるかもしれない。いずれにしてもこれと並行して我々はこのアスリートをサポートするための方法や団体を作らねばならない。例えば、銀行口座を開設して、同胞に支援を呼びかけるなど。

デニスの母親レジーナは、市のデニスに対するサポート体制および援助に対して感謝の意を述べた。この祝賀会で判明したことは、今後もデニスの将来に関しては希望を持ち続けていけそうだ、ということである。

http://www.gorod.lv/novosti/253021-sportivnomu-talantu-nepremenno-nado-pomoch-reshili-v-kabinete-mera?utm_source=twitterfeed&utm_medium=facebook元記事へのリンク

ロシア語の記事をGoogle翻訳で英語にしたものを訳していますが、ロシア語のおできになるけいちかさん@keichika99に監修して頂いています。ご協力ありがとうございました。


Tuesday, March 10, 2015

Deniss Vasiljevs, a young talent from Latvia Absolute skatingより


チャイコフスキーの有名なバレエ音楽「くるみ割り人形」の音楽にあわせて演技をする少年に目を奪われたのは、去年の世界ジュニアでの出来事だった。彼は才能に溢れ、若々しく、また自分のやっていることを非常に楽しんでいるように見えた。彼はラトヴィアのデニスヴァシリエフスという選手だった。ラトヴィアはバルトの小国で、これまでフィギュアスケートの世界で有名になったことは一度もない。ただ、デニスを含め、現在はアンゲリーナクチヴァルシュカやディアナニキチナなど、若い才能が爆発するように活躍を見せている。
デニスは今シーズンなかなか良い成績を残している。シーズン最初のJGPSの大会、クールシュヴェル杯で4位、2回目のJGPSのタリン杯でも4位であった。表彰台に登れなかったのは、ショートプログラムでミスがあったからだった。彼以外にミーシンコーチの教え子であるロシアのペトロフや、2回銀メダルを獲得した山本草太などの強豪選手が参加していた。だが、その後デニスはオーストリア、ドーンビルンで行われたヨーロッパユース五輪で銀メダルを獲得している。

JGPタリン杯でデニスと彼のコーチであるIngrida Snieskieneから話を聞くことができた。

インタビュアー:デニス、ISUのbiographyにはあなたはフランスでトレーニングしている、と書いてあるけど、なぜフランスなの?
Ingrida Snieskiene: 私の生活と仕事の基盤が長い間フランスにあるからです。トレーニングの環境はとても良いですし、オンアイスの時間も長くとれますし、レッスンもしっかりできています。
Deniss:もう5年もフランスで練習をしているし、フランスでのことはなんでも気に入ってます。

インタビュアー:トレーニング仲間で有名な選手はいる?
Ingrida:いわゆるビッグネームはいないですね。フランスのノービスのスケーターたちと練習しています。

インタビュアー:海外でのトレーニングはお金がかかりますよね。ラトヴィアのスケート連盟はどのようにサポートしてくれていますか?
Ingrida : 可能な限り、です。ラトヴィアには今までフィギュアスケートの選手として成功した人はいませんし、とてもお金がかかるのも事実です。デニスはアイスショーに出演することですでに少し収入を得ていますし、彼の両親もお金を出してくれています。それぞれが頑張ってなんとかなっている、っていう感じですね。

インタビュアー:彼はすでにショーに出演しているんですか?すごいですね!!どんなショーですか?
Ingrida:フランスのスケートクラブの幾つかは彼のことを知っていて気に入ってくれています。なのでよくショーには招待されています。私の出身国のリトアニアではアイスダンスのチャンピオンだったMargarita DrobiazkoとPovilas Vanagasが「Ice Flames」というアイスショーを毎年クリスマスの時期に開催しています。デニスはこれまでそのショーに何度も出演してきています。

インタビュアー:若き才能あるスケーターとフランスで教えているコーチであるあなたがどのようにして出会ったのか教えてください。
Ingrida Snieskiene:5年前、初めてデニスの両親から電話がかかってきました。デニスのレベルアップを望んでいるけれどなかなかうまくいかないと。私たちは初めて会ってトレーニングを一緒にしてみました。その後彼とお母様がパリに来て、もう少し一緒に練習をしました。お母様が私のことを信用してくださって、パリにいるときはわたしの家に住んでいます。 そしてデニスのお母様は非常に献身的で、厳しくもあるけれど、デニスのすることすべてを全面的にサポートしています。彼女は練習にも立ち会っていて、動きの一つ一つを注意深く行うよう、そしてすべてのエレメンツを正確に行うよう、デニスに注意しています。お母様はダンスの経験があることもあって、このスポーツの要求度がとても高いことをよく理解されています。
コーチも私がひとりでやっている訳ではなく、チームでデニスとともに仕事をしています。理学療法士と振付師のチームです。最近の傾向として、チームで動かなければ高いレベルには到達できない気がします。

インタビュアー:あなたのプログラムのイメージはどんなものですか?
Deniss:前年にアイスショー用のプログラムに使った音楽を次の年に競技用に使うことが多いです。まずはショーで試してみて、それを競技用のものに作り変えています。
Ingrida:SPのアイディアはしばらくの間なんとなく持っていて、実際にやってみるのにいい時期だと判断して作りました。(デニスのSPはサンバ風の Black machineによる"Jazz machine"とジムキャリーの有名な映画"Mask"の中の音楽"Hey Pschuco"のミックスに合わせて作られている)
Deniss:明るいプログラムで滑っていてとても楽しいです!
フリーはさらに面白いプログラムですよね?音楽のチョイスがとても新鮮です。フランスの有名なエレクトロミュージックのデュオであるDaft Punkの”Adagio for Tron"を使っていて、衣装も一度見たら忘れないようなユニークななものを使っていますよね!
Deniss:"Tron Legacy"という映画のサウンドトラックです。衣装も映画のイメージから作りました。
Ingrida:デニスの衣装のあの白い模様が映画で使われているんです。デニスの希望を聞いて私たちの衣装デザイナーが作ってくれました。

インタビュアー:ラトビアは決してスケートで有名な国ではありません。なぜあなたのような男の子がフィギュアスケートを始めることになったのですか?
Deniss:たまたまです。最初は水泳を習いに行こうとしていたんですけど、断られたのでスケートを始めました。祖母はフィギュアスケートが昔から好きだったのでとても喜んでいました。

インタビュアー:人々はあまりフィギュアスケートが非常に複雑で難しいスポーツであるということを理解していないように思いませんか?
Deniss:難しいし、要求度の高いスポーツだけど、大好きです!!プログラムをやっているとき、いろいろなことを考えなくてはいけないし、すごくたくさんのことに注意を払わなくてはいけません。振付やもっとテクニカルな部分にも。集中力が必要です。

インタビュアー:何かに気を取られて集中できなくなることはありますか?
Deniss:(笑顔で)はい、ときどきすごく面白いことが頭の中に浮かんできてしまうことがあります。

インタビュアー:目標としているスケーターはいますか?どのスケーターが好き?
Deniss:パトリックチャンや高橋大輔のスケーティングが好きです。彼らのスケーティングのスタイルはとても美しいと思う。ああいう風に滑れるようになったらいいなと思います。ジャンプの点ではハビエルフェルナンデスが好きです。パトリックチャンのジャンプも素晴らしいです。

インタビュアー:デニスの進歩のスピードはどうですか?吸収がはやいですか?
Ingrida: もっといろんなことを強制すべきかな、と思うときもあります。残念なことに彼は必要なだけの練習が現在できていません。ラトビアで学校に行かなくてはいけないので、ずっとパリにいるわけにもいかないんです。学校に行っているときはダウガフピルスのスケートクラブのリンクで練習しています。

インタビュアー:今後に関しての長期的なプランはありますか?
Ingrida: そんなに先のことまでは考えていません。デニスの成長に役立つ大会で、かつ出場できる大会に出場することにしています。いろいろなことにトライしながら一緒に成長したいと思っていますし、デニスが怪我をしないように十分に気をつけています。この競技ではいつでも起きうることですからね。なので、一歩一歩進みながら、あまりいろいろなことを押し付けないように気をつけています。

原文:http://www.absoluteskating.com/index.php?cat=interviews&id=2015denissvasiljevs

追記:11月からアレクサンドル・ウルマノフコーチについてサンクトペテルブルグでも練習をしているそうです。もともとはダウガフピルスで練習するときはコーチがおらずお母様が練習をみていたそうですが、今はひとりでサンクトペテルブルグ(ダウガフピルス−サンクトペテルブルグ間は約500km、日本でいうと東京大阪間くらい)まで週に2回程度電車やバスで通っているとのことです。

Sunday, February 22, 2015

コンスタンティン メンショフ入門





みなさんこんばんわ。

本日は、いつも記事を書いてるsayaさんに代わり、上の絵を担当しているgidongainsbourgがお送りします。

昨年末に行われましたロシアナショナル。長年連れ添ってるルカヴィツィンコーチ(通称おにぎり山)の痛恨のミス、あり得ない指示ミスで見事にザヤり(オダり)、最後のジャンプがノーカウントになり、惜しくも表彰台を逃す…どころか大事な大事なヨーロッパ選手権の出場権をも逃す……という最悪の事態を迎えたコンスタンティン メンショフ、通称メンさん…………
せめて国別には出してくんないかなあ〜〜〜と待っている方も少なくないでしょう……

そんなメンさんのお誕生日を記念して、
「名前はちょいちょい聞くし興味はあるけど、あまり知らないな」という初心者の人のための、


コンスタンティン メンショフ入門


をお送りします。



とは言え、
書いているのは基本ジョニー天国で技術的な知識はほぼゼロ……未だに「今の3?4?」と回転数を人に聞く有様…の人間が、なんで4回転が売りのメンさんのファンでメンさんの入門を書いてんねん!!とつっこまれるかとは思いますが、ここは“4回転以外でも全然人を魅了するメンさん”、あるいは、“技術的なことは正直どうでもいいけど表現の面はめちゃ厳しいからね!という人間をも満足させるメンさん”という切り口で書いてますんで、悪しからずね!!!



メンさんのキャリアは長いようで短く、短いようで長い。

コンスタンティン メンショフ、(ロシアでの愛称はコースチャ)は1983年サンクトペテルブルク生まれ。プルシェンコの4ヶ月ほど後、ということは日本でいう学年がいっしょ…つまりほとんど変わりません。プルシェンコがシニアデビューしてグランプリシリーズ他に登場し始めたのが1997年頃、14〜5歳なのに対し、メンさんがグランプリシリーズに初エントリーしたのが2010年、27歳の時。同じシーズンに初のロシアチャンピオンにも輝きます。ほとんど同い年のプルシェンコから遅れること10年以上、それまでロシア国内以外ではほとんど誰にも知らないスケーターだったメンさん。プルシェンコと同じように子供の頃にロシア崩壊を経験したでしょうし、同じ北の古都サンクトペテルブルクで、有名コーチのミーシン門下で華々しく活躍する国民的英雄の陰、まだ若くて無名のコーチ(おにぎり山)のもとで細々と練習の日々を積み重ねてきたメンさん。20の時、23の時、25に成った時、あるいは4年おきのオリンピックシーズン毎に、「やめようかな……つづけようかな……?」の迷いは絶対にあったと思います。これには、続けてくれて良かった、よくぞ途中であきらめて辞めるということを思い留まってくれた、という驚きと賞賛しかありません。そして、メンさんと同じ世代のスタースケーター達、プルシェンコやジョニーやランビエールやジュベールやバトル、メンさんが彼等の華々しい活躍を自分の家のテレビで見ていたスケーター達がみんな引退、もしくは試合に出てこない状況の中、メンさんただひとり、未だに当たり前のように毎シーズングランプリシリーズにエントリーし、当たり前のように毎月試合に出場し、当たり前のようにショートとフリー合わせて4本4回転を跳び、当たり前のように一回りも年下のスケーター達と表彰台を争うことが出来る…………もうそれだけで、言葉にならないくらいすばらしい選手だということは、お分かりでしょう??

メンさんの魅力はそれだけに留まりません。
世界随一とまで称される(と思う)プログラムのセンスの良さ。自分で選曲し、振り付け師とともに作っていく独特の世界観。フィギュアスケートにコンテンポラリーダンスの要素を取り入れた先駆者、と言ってもかまわないかもしれません。(もともと、サンクトペテルブルクにはそういう前衛的なプログラムを積極的に取り入れる空気はあったとは思いますが。)たぶん、メンさんが長く現役を続けられてきた理由はここにあると思います。自分には4回転という武器がある、でもそれだけでは足りない、と感じた時に自分を表現するということに気がついたのでしょう。そしてその喜び、自由を手に入れたのでしょう。メンさんの選曲や振り付けは決して全てのジャッジの気に入るものではありません。ジャッジによってPCSの点には差が出ます。しかし、メンさんの演技にはジャッジとは関係なく直接観る人に伝わるものがあります。彼の振り付けは全て彼の言葉、全て意味があります。観る人はただ、上手ね、きれいね、だけでない何かを受け取ることが出来るのです。そのミステリアスな不思議な世界を味わう事が出来るのです。
また、今期は自分のプログラムだけでなく自分以外の選手、しかも女子選手の振り付けにも挑戦しています。それもショパンのクラッシックを使いながらもとても新鮮で興味深いプログラムとなっており、振り付け師としての今後が期待されます。(※マリア アルテミエワのフリー動画) …ま、リアル彼女さんなんだけどね。


トリノ、バンクーバーは過ぎ去って行き、ソチさえもチャンスが無かった、でも、「誰が僕は平昌には出れないって言えるの??」と、現役続行を宣言してるメンさん。

応援せずにはおれないでしょう!!





ここからオススメ動画、「これだけ観ればあなたもそこそこのメンショフ通!!!」です。

古い順に並べました!



私はこの当時のことをリアルタイムでは観ていないのですが、バンクーバーが終わりプルシェンコが休養し、ロシア男子シングルに新しいチャンピオンが現れた!!ジュニア上がりの18歳の新星!!……とかではなくて、27歳(!)……の小さな男……と分った時に世の中はやっぱり「ええ!?」と驚いたのではないでしょうか?
その小さな男がびゅんびゅんジャンプを決め、マイコーの曲でムーンウォークまでしてみせるのですな。会場大受け。
おにぎりコーチがうれしくておもわずメンさんを抱き上げるところでちょっとうるうるきます。
初のヨーロッパ選手権、7位でした。




メンさんと言えば、“月光ライダー?”と思う人も少なくないのではないでしょうか?(あるいは“胸からイカ?”)そのくらい衝撃的だったプログラム。「自分はライダー、渋滞に巻き込まれてうんざりしている、ふと横道に逸れてみる、するとキレイな月が出ていることに気づく‥‥」っていうストーリーがあるらしいんですが、真意は不明です。(ちゃんとヘルメットを脱いで、その後かぶり直します!)
ただプログラム的にはちょっと詰め込み過ぎ??なくらいの後半の連続ジャンプや怒濤のステップでなかなかノーミス演技が出来なかったことが残念と言えば残念。
私は「月の光」に曲が変わった直後に「月が出てるよ。」と空を指さす振り付けが大好きです。




このシーズン、上がフリーでこれがショートのいわゆる“胸からイカ”なんですから、びっくりですよね…。(意外にイカ エイリアン?の顔がかわいい……)上のマイコーのプロも手袋や襟に何か小技を入れてるんですが、こんな風に衣装で遊びを見せる選手を私は初めて見ました……(ルール的にはだいじょうぶなんすかね??)メンさんの茶目っ気、サービス精神のほどが伺えます。






そして、私個人の意見では最高傑作だと思う、「谷間の百合」。その最高ノーミス演技。
この曲は映画「ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」のサントラです。ピナ・バウシュといえば有名なコンテンポラリーダンサーで振り付け師。そのピナのイメージがべったり付いたこの曲でよくピナファンが見てもがっかりしないだけの物を作ったなあ、と思うし、この後のメンさんの「渋い大人〜」路線を決定づけたプログラムだと思います。フィギュア男子シングルといえば、マッチョ路線orバレエチックなクラシック路線、あるいはセクシー色男路線ぐらいしか思いつかなかい中、このメンさんの持つ雰囲気はすごく斬新で、男子シングルの表現の世界を大きく広げたのではないかと思います。(翌シーズンジェレミーが同じ曲を使ったのも気持は分ります。)
この国別のショートで4−3をバッチリ決めて、パトリック、大ちゃんに次ぐ3位に…ああ、ついに世界の大スターと肩を並べるか??お思いきや、翌日のフリーでジャンプの転倒時に肩を脱臼して棄権………。

惜しかった………………。


なお、このプログラムの中には投げキッスをするシーンがあるので探してみてください。
メンさんのプロにはちょくちょく投げキッスが出てきます。それを探しながら観るというのもなかなかおつですよ。





上のシーズンのフリー。少し画像悪くて申し訳ないんですが、私が観た中ではこの演技が一番好きなので……。特に、途中からのテンポがゆっくりの曲になった時のムードが最高。
この試合、しばらく休養していたキムヨナの最初の復帰戦で観客が韓国人だらけなんですが、その観客に大受け。そして、優勝できた試合でした。





世の中はオリンピックシーズンへと突入、したのですが、この年の4月の国別の試合で怪我をしたメンさんは少し出遅れます。
そして、よりにもよって…というか、非常に難しい曲と振り付けを選んでしまったな、と思うのです。この曲は2回、3秒くらい無音になる箇所があります。それに合わせて1回めは糸が切れた凧のようにフワリフワリ滑り、2回めに合わせてジャンプを跳ぶ、という振り付けなんですが、これがなかなかジャンプがぴったり合わない。あるいはそこに合わすことに気を取られて他のジャンプでミスをする…状態かなと??ここにも、自分が出来ることだけをお弁当箱の中につめたみたいなプログラムよりも、自分の言いたいこと、やりたいことを優先するメンさんの姿勢が伺えますね。)
最初の衣装にプリントしてあるミケランジェロの絵に合わせた手のポーズから、手から小鳥が飛び立っていくところ、最後に何かの蓋を閉めておしまい、など、メンさんワールド炸裂なプログラムだったので完璧演技が観られたなかったのはちょっと残念です。

動画は2回めの空白でジャンプがばっちり決まったヨーロッパ選手権のものを選びました。
この時、このショートで出遅れたもののフリーで挽回(フリーは昨シーズンの持ち越し)、初めてヨーロッパ選手権で銅メダルを獲得しました!





そして今期、メンさんの、「渋い選曲、不思議コレオ、力強い4回転ジャンプ2本」の全部が完璧に揃ったパーフェクト演技。ある意味、メンさんプロのepic(絶世期)かなあ?
これでなんで点数90越えないかな??と文句をいいたいのは山々だが仕方ない。今期は「惜しくも表彰台を逃す」というシーンばかり見た気もしますが、ようやく、表彰台に最も近い存在になれたことだけでも躍進したのではないのかな?と思います。
ま、センスの良さならとっくに世界一なんだけどね!!!





そして今期フリー、先のロシアナショナル。
このプロは戦場ジャーナリストをテーマにしたそうです。「不思議不思議…」と言われ、人を煙に巻くようなプロが多かったメンさんですが、ここに来てよりダイレクトに自分の言いたいことを振り付けの中に込めることができるようになった……また一枚皮が剥けた……と、この30越えても未だに進化し続ける姿にぐうの音も出ません。
前日のショートで2位につけ、ここで確実に表彰台を狙ってジャンプ中心の演技をするかな?と思いきや、細かいところまで丁寧に心を込めて滑っていて、むしろジャンプの方ががお留守になってしまった…し、後半は疲れが出てきて最後のドーナツスピンはブレードをつかむことが出来ない……のですが、私はこの演技がとても印象深かったのでこれを載せます。一個一個のポーズの美しさに、4回転ばかりが注目されてきたけれど、いつのまにか、こんなに深い表現力のあるスケーターになってたんだなあ……と感慨深かったのでした。




今回、メンさんのプログラムをまとめて観てみて、

キャリア最初にメンさんがなかなか大きな試合に出る機会に恵まれなかったのは、やはり余りにも大きい太陽のようなプルシェンコの存在にかき消されてしまったのでしょう。そしてバンクーバー以降プルシェンコが競技から離れたときも、本来なら自分が出られた試合に出させてもらえなかったり、ロシアフィギュア社会の中でよい待遇を受けて来ませんでした。試合に出ても、これだけのジャンプを跳んでこんな点??と目を疑うようなジャッジをされたことも何度もありました。
多分、私が思うに、無論メンさんも勝ちたい、勝ちたいからショートに4回転2本入れてくる、でも、決してジャッジは自分に味方しないということも分っている、だったらキチンと自分を表現したい、直接観る人に自分の存在を示したい、試合の結果以前に試合に自分が出てること、テレビで放送され「こんなプログラムをやるこんな選手もいるんだな」と人々に知ってもらえること、それだけで既に自分は勝っている、という気持ちもあるのではないのかなあ?と思うのです。
フィギュアが、高得点を稼いで表彰台に登ることだけを意義とするものなら、どんなに寂しいでしょうか。メンさんを見ていると、フィギュアスケートはそれだけじゃない、もっとたくさんの可能性がある、もっとたくさんの表現、伝えるべきことがあると思えるのです。フィギュアスケートファンは、ジャッジ達がジャッジしなかったこと、点数から漏れてしまったものをちゃんと観て、自分たちなりのジャッジをする、自分の視点で一人一人の選手を讃える、ということを決して忘れてはならないと思うのです。(ジャッジの点に躍らされたり流されること無く。)
そして、コンスタンティン メンショフという選手がいることを忘れないで欲しいのです。



最後になりましたが、

メンさん、お誕生日おめでとう!!(32歳)

(ジョニー的にはフィギュアで30代は96歳に相当するらしいから、97歳になるのかな?!)

平昌までがんばれ!!

君についていくよ!!

明日はきっと金メダルだ!!!!



P.S
今回この文章を書く上で、コチラのブログを大変参考にさせていただきました。
ありがとうございます。

http://svoro.blog38.fc2.com/blog-entry-139.html

質、量、愛情、全てにおいてすばらしい!!
メンさんに興味をもたれた方は是非一読を!




Thursday, February 12, 2015

Deniss Vasiljevs 2015/02/10 インタビュー「ナポレオンをお手本にしています」







デニス・ヴァシリエフスのユーロユース五輪での成功がこのインタビューのきっかけとなった。このダウガフピルス出身のスケーターは見事銀メダルを獲得したのである。これはラトビアのフィギュアスケートの歴史において初めてのことであり、そしてラトビア国内の反応は予想通りのものであった。デニスはこのインタビューの前日にラトビア大統領Andris Berzinsから届いた手紙を誇らしげに見せてくれた。

「みんなが大統領から祝福の手紙をもらえる訳じゃないですからね」とデニスは言った。もちろんそのとおりである!!このインタビューはダウガフピルスのスケートリンクのロッカールームでいつもの練習ののちに行われた。デニスの母親であるレジーナ・ヴァシリエヴァもインタビューに同席した。

記者:どのようにしてあなたの競技生活は始まったんですか?例えば、アーティストと話すと彼らは小さいときから自分で紙と絵の具をさがして作品を描いていたといいます。あなたも小さい頃からスケートをしたいと思っていましたか?
デニス:もちろん違います。小さい時は僕は身体が弱くて、両親は僕が少しでも丈夫になるようにと水泳教室に連れて行きました。でも水泳教室は僕を受け入れてくれなかった。身体が小さすぎるから、ずっと父が側についていてみていなくてはいけないと。でも2002年9月3日に両親は僕をスケートリンクに連れて行きました。そしてスケートを始め、その魅力に夢中になりました。それからずっと汽車のように走り続けています。もし途中で練習をやめてしまえば周りはずっと先に行ってしまいますからね。

記者:あなたは初めての試合での勝利を憶えてますか?それから何度こうやって勝利のスピーチをしていますか?
デニス:(訳者注:ここにセーターのことが書いてあるみたいなんですがよくわかりません。すいません)最後に数えた時はメダルが56個ありほとんどが金メダルでした(訳者注:たぶん小さい大会も含むと思われます)。自分にとって思い出深いのは、2010年のモスクワでの試合で”Glass Skate”という大会でした。僕は3位だったんですけど、表彰台に乗ったラトビア人は初めてだったんです(記者による注釈:それまではロシア人選手しかメダルを取ることはなかった)昨年の世界ジュニアでの8位も嬉しかったです。いろいろな試合に出場するのにとても重要ですから。

記者:オリンピックチャンピオンになりたいですか?
デニス:なりたいと思っています。2018年に韓国でオリンピックがあり、出場のチャンスがあるはずです。そしてもちろん将軍を目指さない兵士はよい兵士ではないということを強調したいと思います。

記者:あなたのこれまでの成功は才能に基づいたものだと思いますか?それとも野心と努力に基づくものですか?フィギュアスケーターにはどのような資質が必要ですか?
デニス:競技において才能は10%程度の重要性しかないように思います。90%は努力です。重要な資質は辛抱強さ、決断力、それからどれだけスケートにすべてを捧げられるか、だと思っています。

記者:試合がないときの毎日の練習について教えてください。
デニス:朝6時に起きて7時にはリンクに行きます。8時に学校に行って(記者注:デニスはDaugavpils russian secondary schoolの9年生である)、学校が終わったら次の練習を始めます。だいたいそれが18:30です。そして遅い時間に帰って宿題をやります。ときどきはリンクではなく、筋力トレーニングやコレオグラフィなど陸上のトレーニングを行うこともあります。

記者:毎日2回練習があるのですか?
デニス:ときどき3回、1回のこともあります。

記者:お休みはありますか?
デニス:ないです。実際、12/31も1/1も練習していました。

記者:食事で特殊な制限をしていますか?
デニス:いいえ、何でも食べます。甘いものも好きです。キャンディが好きじゃないひとなんかいないですよね。

記者:同級生たちはもっと自由時間があって、楽しいこともたくさんあると思いますがそれをうらやましく思ったりしますか?
デニス:そういうことはないです。フィギュアスケートなしの生活なんて想像できません。みな自分の好きなことをやればいいと思います。

記者:好きな女の子のタイプを教えてください。
デニス:まだ女の子のことを考えるのは早いと思うんですけど、ブロンドの人がすきです。ブロンドが男性に人気があるというのは科学的に証明されていることです。もし家族を持つとしたら、自立した女性で経済観念がしっかりした人と結婚したいです。

記者:練習のせいで勉強が遅れることはありますか?
デニス:学校の先生たちはとてもよくしてくださってます。教えて頂いて、ちゃんと努力して結果がだせるようにしています。

記者;スケーターやそれ以外でアイドルと呼べる人はいますか?
デニス:スケーター以外ではいません。スケーターでは3人います。1人はカナダのパトリックチャン、彼の滑りは素晴らしいです。そして日本の高橋大輔、彼のようなスケーターは他にいません、そしてスペインのフェルナンデス、彼はフィギュアスケーターとしてスペインに今までなかった成績をもたらしています。

記者:祖国ラトビアに愛国心がありますか?
デニス:ダウガフピルスを愛しています。

記者:フィギュアスケートは比較的引退が早いスポーツですね。引退したあとのことを既に考えていますか?
デニス:ナポレオンをお手本にしたいと思っています。彼の考え方は自分の人生にも応用ができるはずだと思います。スポーツは僕にとっては一番好きな趣味で、それを通じて自分を成長させ、いろんなひととコミュニケーションをとったり、繋がることができるものです。引退後は例えば自分でビジネスを始めるということを考えてますし、自分の洋服のブランドもたちあげてみたいです。あとは様々な試合やアイスショーのマネジメントをしたいですし、ISUのジャッジになるのも夢です。自分の幸せのためには湖や森の中で暮らしたいし、そして丘の上の家があれば十分です。そして両親のためにパン屋を買ってあげたいです、そうすれば母がそこでいろいろな素晴らしいパンやお菓子を焼いたりできるし、毎日新しいパンが食べられるから…

記者:わたしたちはみな現代を生きています。もしチャンスがあれば過去の時代に戻りたいと思いますか?そうだとすればそれはなぜですか?
デニス:過去の方がいいです。コンピューターのない時代。僕自身もゲームは好きだし何も考えなくていいからすることもありますけど。でもナポレオンの時代が好きです。戦いがあって、皆が美しい服装をしていて、美しい言葉を話していた時代。そしてフランスのリーダーになった策士のナポレオンが好きです。

記者:コルシカ生まれの訛りのひどい小男が世界の半分を制覇した訳ですからね。そしてあなたの人生のモットーは?
デニス:「厳しき訓練が戦いを容易にする」ナポレオンと同じく大好きなアレクサンドル・スヴォーロフの言葉です。(訳者注:アレクサンドル・スヴォーロフはロシア帝国歴代4人目にして最後の大元帥。軍事史上でも稀な不敗の指揮官としてしられるーfrom wikipedia)

記者:デニス、人生の意味は何だと思いますか?
デニス:生殖です。(訳者注:再生産とすべきかもしれません)子どもを持ち、その子のために、最大限のものを与えてあげられるようにすること。

記者:予想もできなかった答えです。これからの幸運を祈ります。そしてインタビューに答えてくれてありがとう。
デニス:こちらこそありがとうございます!

追記:レジーナ・ヴァシリエヴァはラトビアオリンピック委員会、ダウガフピルス市議会、そしてDaugavpils Russian secondary schoolからの支援とサポートに対して感謝の意を示していた。

ラトビア語をgoogle自動翻訳で英語にし、それを日本語にさらに翻訳しているのでニュアンスがだいぶ変わっていると思いますし、どうしてもわからないところもありました(セーターがどうこう言っているところ!!)ので、そこはお断りしておきます。ただ最大限なんとかして意味を汲み取るようにしたつもりです。だいたいの内容が伝われば嬉しいです。

最後にユーロユース五輪の動画(ラトビアオリンピック委員会作成)をご紹介しておきたいと思います。

これはFSと表彰式、それからインタビューの詰め合わせ8分間の動画です。この動画のポイントはFSの終盤、ラトデニがサルコウで転倒するシーンをラトデニのことを大好きなラトビアオリンピック委員会が勝手にカットして、関係ない映像を埋め込んでいるところです。何度見てもちょっと笑えます。インタビューもかわいいので見てみてください。水泳のことはここでも話しているみたいです。



これは表彰式の動画です、1:40くらいから。メダルを嬉しそうに見せてカウベルを鳴らす笑顔は、ナポレオンがどうこうアレクサンドル・スヴォーロフがどうこうといった難しいことを言うような雰囲気には見えなくてほんとに子どもみたいです。






Sunday, February 8, 2015

Roman Sadovsky 2013/08のインタビュー







THORNHILL  ONTARIO
8月の午後、33度の気温の中、湿気が重苦しく漂っているが、Ed Sackfield Arenaの中はダウンコートと手袋が必要なくらいに寒い。そこにローマンサドフスキーがいる。

彼はトリプルアクセルに何度も何度も挑戦している。そして少しずつ上達している。York Region Skating Academyでの夏はこのように過ぎていくのである。

サドフスキーは14歳の元気いっぱいの少年で、最近地域のSport High schoolに入学したばかりである。そのとおり、8月に始まる学校なのだ(注;カナダは通常9月始まり)。新しいことづくめの中ではあるが、サドフスキーは大きな一歩を踏み出そうとしていもいる。2年前彼はノービスレベルのスケーターだった。昨年はジュニアレベルにあがり、ニューヨーク州レイクプラシッドで行われたジュニアグランプリの大会で3位になった。ウクライナからの移民である両親のもとで育った彼は、リスクを背負うことを恐れず、これから大きなものをつかもうとしている。少なくとも国内大会ではシニアレベルに移行しようとしているのだ。

彼は8月15-18日に行われる予定のThornhill Summer Skateに向けて準備を行っているが、彼はそこで対戦する予定の選手たちに対して萎縮してなどいない。世界選手権で3度優勝しているパトリックチャン(サドフスキー自身も憧れている)も、もともと出場する予定だった。しかしサドフスキーは出場を怖れてなどいないし、むしろ楽しみにしているのである。「自分がそこにいる選手の中で一番若いのに、その選手たちと一緒に競技に参加できるというのはとても気分がいいです」彼は言った。「別に特に怖くはないよ」

その次の週にはラトビアであるジュニアグランプリの大会に出場する予定である。国際大会ではジュニアレベルで競技をしているのだ。
昨年サドフスキーはスケートカナダチャレンジイベントのジュニア男子部門で優勝し、ミシサウガで行われたCanadian Tire National Figure-skating Championshipsへの出場権を獲得したが右足の疲労骨折のため出場そのものは諦めた。しかし、出場した選手たちをこの大会で上回ってはいた。スケートカナダチャレンジイベントでは彼は172.58の点数で優勝したのに対してサドフスキーのチームメイトであるAnthony Kanは167.54点でカナダのジュニア男子部門を制している。

サドフスキーは今年ジュニアクラスで出場することももちろんできたとコーチのTracy Wainmanは説明した。しかし彼が出場できなかった唯一の大会がカナダナショナル(注:ここで言っているのは2013年の大会のこと、2014年のはシニア枠で出場し8位入賞)であり、彼は最終目標である世界ジュニア選手権の出場者候補であった。この先どこかで、彼はジュニアレベルを制覇したいと思っているが、そのためにはトリプルアクセルや4回転ジャンプを跳んでいるトップ選手と戦う必要もあるのだ。彼はそのために必要なジャンプを一生懸命練習している。トリプルルッツートリプルトーループのコンビネーション、そしてトリプルアクセルである。

昨年13歳だったサドフスキーはジュニアクラスでは一番年齢が小さかった。ISUの規定では、7月1日に13歳になっている選手がジュニアクラスとして競技に参加することができる。サドフスキーの誕生日は5月31日なのである。「まだ何年もジュニアで競技をすることになるでしょう」とWainmanは言った。しかし国内のレベルでサドフスキーをシニアの競技会に参加させることについては彼らはそれほど迷いを感じていなかった。少なくともジュニアの国際大会で使われる要素で勝負している選手たちと競わせることに関して迷いはなかった。

サドフスキーはその若さからは想像できないような成熟した部分を持ったスケーターである。「接してると彼の年齢を忘れちゃうときがあるわ」とWainmanは言う。彼はとても集中し、真剣にトレーニングを行う。150㎝しかない身体を懸命に使って彼は何をするべきか理解する。「あの子はいつもきちんといろんなことを計画的にやってる。現在の採点システムをよく理解しているし、エンターテナーでもある」彼の振付師であるGregorz Filipowskiは言う。 「演じることがとても好きだし、ストーリーを観客に伝えられたらいいなって思ってる」とサドフスキー。

サドフスキーのボディムーブメントはとても印象的であるし、スピンはこのうえなく美しい。「彼はとても身体能力が高い」とスケートカナダのコンサルタントであるLouis Strongは言う。「柔軟性もあるし、美しい姿勢を保つだけの力があり、スピンも速い。キャメルスピンにアウトサイドのエッジで入って脚をまっすぐに伸ばし、6回インサイドエッジで回転して、後ろに体を伸ばしてバリエーションをやって、腕を伸ばしながらまたエッジを変えて、別のバリエーションやる…。見ていると、これはLevel4だ、そしてGOE+3だ!!っていう気持ちになる。いやあ素晴らしいよ」

ジャンプに関しても彼は急速に進化を遂げている。ノービス時代にはサドフスキーは2種類の3回転ジャンプを跳んでおり(サルコウとトーループ)、両方ダブルアクセルの前に習得していた。昨シーズン彼は熱心に練習を続け−なにしろ彼の練習熱心さは伝説的なのであるートリプルアクセル以外の3回転ジャンプを全て習得した。

サドフスキーは去年、カナダ選手権の出場権を得たが、大会の直前に右足に痛みを感じた。彼はWainmanコーチにフリップとルッツが跳べないと告げた。右足で踏み切る時に痛いからだと。「彼はかなりタフなのよ」とWainmanは言った。「まだそのときジャンプを降りてたんだもの」

心配になったWainmanコーチは彼を病院に検査を受けに行かせた。MRIの結果が出た日、サドフスキーはまだ3ー3のコンボとトリプルフリップを跳んでいたが、結果はつま先の近くの骨の疲労骨折だった。Wainmanは彼の様子がおかしいと感じたため、検査結果を早めに確認し、彼にカナダ選手権に出場できないと知らせなくてはならなかった。「わたしにとってもとてもつらいことでした」Wainmanは言った。「でも彼は驚かなかったわ」

もしそのまま負担をかけ続ければ足の骨の成長に影響を及ぼす可能性があり、一生の問題になってしまうかもしれなかった。「彼はちゃんと理解してくれました」Wainmanは言った。それでもなお、サドフスキーは毎日リンクにやってきたーその頃通っていた学校のすぐ隣にリンクはあったーそしてあたかもそのあと滑るかのようにストレッチをした。そして名残惜しそうな様子でリンクをあとにするのだった。その年のカナダ選手権をサドフスキーは見たものの、ジュニア男子はスキップした。そして彼が将来出場することになるシニア男子の観戦に集中したのだった。

怪我で滑ることができなかった間も、サドフスキーはピラティスと水泳を続けていたため(その頃は水泳選手としても大会に出場していた)、スケートの練習を再開した時は元の調子を取り戻すことはそこまで困難ではなかった。リンクに戻るのは1ヶ月ぶりだったが、少しずつジャンプを跳べるようになっていった。

サドフスキーは5歳の時にスケートを始めたが、ただ最初はスケートそのものだけを習うつもりだったと彼は言う。「ほんとはホッケーをやりたかったんだよ。でもコーチがフィギュアスケートを試してみたほうがいいと言ったから。でも本当はその選択肢はあまり嬉しくなかった」

彼はゴールキーパーになりたかった。ショットを止め、セーブを決める役割を果たしたかった。最初のスケート靴はホッケー用のものだった。

彼がWainmanコーチのところに来たのはまだ8歳の頃でとても体が小さかった、と彼女はその頃を思い出しながら話した。いつも自制心があってしっかりした子供だった。彼女がちょっとした課題を与えると必ず上達したところを見せた。「自分で考えてやったほうが彼は明らかにはやく上達するの」と彼女は言う。

1980年の世界選手権銅メダリストであるGrzegorz Filipowskiはサドフスキーの振り付けをすることをとても楽しんでいる。「彼は演じることを全然恥ずかしがらないんだ」Filipowskiは話した。「どんな動きをしても綺麗に見えるし、いろいろ新しいことも試したいとすごく思ってるみたいだね」Wainmanによるとサドフスキーは1日30分バレエレッスンを受けており、それは彼の希望したことだという。彼のような年頃の少年には珍しいことである。

「彼は自分の欲しいものをきちんと把握しているタイプの人間だと感じているよ」Filipowskiは言う。「まだこどもではあるけど、氷上では常に計画性を持って滑ってる。とても賢いし、しっかり計算もできる。システムも全て理解している」

そして彼のスピンについては?Filipowskiはサドフスキーのスピンのコーチでもある。しかしそんなにたくさんはレッスンをしていないと言う。よいスピンができるようになるための秘訣は?練習、ただただ練習あるのみ。

「すごく大変だったよ」サドフスキーは言う。「ほんとに努力して今のスピンができるようになったんだ」

サドフスキーはすでに今シーズン競技を始めている。7月末にSkate Detroitでシニアの選手たち相手に5位という成績を残している。彼はSPで4回転ー3回転のコンボを跳んだカリフォルニアのGrant Hochstein、それからカナダ選手権のシニアの銅メダリストであるAndrei Rogozineに続いての5位であった。190.54ポイントという成績は、カナダのベテラン選手であるJeremy Ten選手と0.03ポイント差であり、シニアの大会に2年前から出場しているNam Ngyenよりもずっと良い成績であった。サドフスキーはその力を発揮し始めている。このことはカナダの男子フィギュアスケート界にとってもよい前兆と言えるだろう(終)

出典;http://www.skatecanada.ca/2013/08/roman-sadovsky-looking-for-results-on-the-isu-junior-grand-prix-circuit/


ロマンサドフスキーくんは高難度ジャンプはまだ試合に入れていませんが(3Aと4Sを練習中とのことです)、今シーズンはジュニアグランプリファイナルにも出場し、先日行われたカナダ選手権では総合4位、成長著しい注目株と言えると思います。繊細で丁寧な表現とインタビュー中でも触れられている美しいスピン、長い長い脚が映えるきれいなフリーレッグなどが彼の魅力ではないでしょうか。特にスピンは1級品!!ほぼすべてのスピンでレベル4を獲得する力を持っています。特に私がいつみてもびっくりしてしまうのはA字スピンの美しさです。あんなにきれいな形のA字スピンは見たことがない気がします(調べたら同じくカナダのエマニュエルサンデュ選手もA字スピンの美しさで有名だったようですね)。基礎がしっかりしていて練習熱心で賢い、表現も良い(お顔もきれいでスタイルもよい♡)となればこれからが楽しみでしょうがありません。
ここからはいくつか動画の紹介をしていきたいと思います。




今年のロマンくんのFSは昨年からの持ち越しで、ノンボーカルのLes Misérablesです。勇壮な曲調からスタートしますが、彼の透明感のある表現力が活かされるプログラムだと思います。これはジュニアグランプリファイナルのFS。実況しているスペイン人のおばさんも大興奮です。






今シーズンのSPはゲイリームーアの"The Profet"です。個人的にギターがキュイーンキュイーン!!となってからのロマンくん渾身のステップがとても素敵だと思います。ボディコントロールが上手なことがよくわかる気がします。ブルースの気怠い感じもよく表現できているんじゃないでしょうか。ちなみにこの頃まで短髪なのに前髪だけ長い大五郎ヘアでした。






ロマンくんがオンタリオ州ハミルトンであったアイスショーに招待されたときの映像。ロマンくん自身がアップしているもので、コメントもついています。プログラムは2つ、ひとつめはLes Misérablesの"Bring him home"ボーカルあり、ふたつめは"Stairway to heaven"です。演じるのが好き、ストーリーを伝えたい、というロマンくんの心意気が伝わってきます。






去年のSP。超かわいいジェームスボンドです。残念ながらPCでしか見られません。会場はとても盛り上がってます!パンチする振り付けが好きです。





最後に短いインタビュー動画へのリンク(※動画はコチラ)を貼っておきます。カナダのあの有名なPJさんがジュニアグランプリファイナルのFS後にインタビューしています。クリスマスは何をするの?と言われて練習、それから家族と過ごす予定と。クリスマスのお料理ですきなものは何かある?と聞かれて好き嫌いはない、なんでも食べると答えます。じゃあたくさん練習してたくさん食べてね!と言われてにゃはははは!!と笑います。演技のときは入り込むタイプなのか、独特の雰囲気を醸し出している気がしますが、素顔は人懐っこくて笑い上戸みたいですね。